クラシカルとプラクティカル・流派について

ホメオパシー個人セッション
クラシカルとプラクティカル
クラシカルとプラクティカル・・流派について

クラシカルとプラクティカル・・ホメオパシーの流派/それぞれのレメディの使い方の違いは?


ホメオパシーの流派についてお話しします。

日本のほとんどのホメオパスはプラクティカルホメオパスです。クラシカルホメオパスは少数で、ホメオパシーと言えばプラクティカルホメオパシーを指しているような現状です。

ここであえて言えば世界の有力なホメオパスはほとんどがクラシカルです。日本にまずプラクティカルホメオパシーが入ってこなければならなかった理由の一つに、薬好きな国民性があげられるかも知れません。新薬にせよ抗生剤にせよ、世界のかなりのシェアを日本が占めている事実は空恐ろしくなりますが、日本国民はこれほどまでに薬が好きな国民だったということかもしれませんし、国民保険の浸透という国策的なものも影響しているのかもしれません。

さて、クラシカルホメオパシーは一回に一粒のレメディを使います。決して数種類を、それも高ポテンシーのものを、大量に使うことはありません。ホメオパシーレメディの成り立ちはプルービングという厳密な人体実験に寄っています。一種類のレメディを健康な人に投与して起きるさまざまな反応を克明に記録していく作業です。

同種療法の原則は、健康な人に起こさせる症状がそれと同じ病気の人たちを治すことができる、ということですが、この人体実験は1種類のレメディでしかなされません。何種類もの混合レメディの人体実験などまずありません。

よって、ホメオパシーが効果を表す範囲というのはたった一つのレメディの活躍が表現する症状に限定されてきます。何種類ものレメディを大量に投与する方法では、体の中でどのようにレメディが反応しているのか、誰にもわからないことなのです。

プラクティカルでは、このあたりをポンと飛び超えてしまうのです。その理由はアグラベーションを抑えいたずらにクライアントを苦しませないとか、現代人はハーネマンの時代に比べれば大量の有害物質にさらされているから単純ではないとか、忙しい現代人には早く効果を上げなければならないとか、さまざまな理由があげられ、いちいちもっともらしいのですが、すべては対症療法的にホメオパシーを使うという便利性が優先されているのと、その反面ホメオパシーの真髄から離れてくるということがあります。

そして何より、人体実験の意味する重大性の無視です。厳密に実証科学を実践し続けたハーネマンはこのような意味合いでのホメオパシーを決して許容する事もないだろうし皮肉ないい方をすれば、レメディを大量に売らんがための薬会社の陰謀だったと言うこともできるでしょう。

実際このやり方はフランスやドイツで盛んになったのですが、これらの国ではその分国民にレメディがいきわたったのですが、反面ではホメオパシーの持つ深い癒しの働きが薄れてしまったことも事実です。できるだけ自然な方法で症状が見えなくなればいいとする向きには便利ですが。

結局一体何のためにホメオパシーをやるのか、ということにかかってくるのですが、対症療法的に症状をおさえるようなやり方は、あえてホメオパシーでなくてもいいし、今ある西洋医学的な方法で充分なのです。

つまり、プラクティカルホメオパシーは似たものが似たものを癒すという同種療法の名を借りた対症療法であり、魂の救済とか、霊的な部分までの癒しとか、人間全体を健康に癒すとかいうことからは大分かけ離れた状態で症状が終わるという方法になるのです。

症状というのは私たちの生命力が命の危機を知らせてくれる唯一絶対のありがたくはないけれどもありがたい表現なのですが、これをさっさとよく観察もしないで押さえてしまうことはせっかくの命の表現を無視してしまうことになります。

押さえられた症状は今度は体の奥深くに入り込んでいくのですが、結果としてより重大な症状としてそのエネルギーを表現する事になります。たとえば子供の皮膚症状をステロイドで抑え続ければ、皮膚は奇麗になっても後でぜんそくという症状に表現されてくるのです。

こういった対症療法のよさももちろんあります。クラシカルでも急性症状の場合にはレメディを一粒ずつという原則は変えずに5分おきに服用する事もあります。セルフケアでのレメディの使い方には、時と場合によっては両者に大きな差はないかもしれません。

でも、慢性疾患の治療になるとこれから先がすっかり変わってきます。プラクティカルのやり方でセルフケアでをやっているかたが、慢性疾患に自分で対処しようとするときに、飴玉のようにレメディを飲んでいる方たちもみうけられ、驚かされます。

専門のホメオパスにかかられても、朝昼晩と違うレメディを飲む、または1か月にレメディを一ビン飲むというやり方もされていて、これには真から驚かされます。少なければ少ないほど効果があるとする同種療法の原則からは想像もつかないことです。

ハーネマンがホメオパシーの原則をどう規定し、どのようにレメディを使っていったか、その詳しい事はオーガノンという書物に詳しく述べられています。彼からたくさんのお弟子さんたちが巣だっていったのですが、後世にどんな書物が書かれようが、ハーネマンが提唱した原則ほど完結で強力なものはありません。

癒しを人々にほどこすものが必ずまもらなければならないこと、それは最小投与の法則どおりに、迅速に優しく永続的に癒されなければならないという鉄則から決して目をそらせてはいけないということです。それが出来さえすれば、流派など目ではないのかもしれません。

クラシカルだろうがプラクティカルだろうが、ホメオパシーの原則通りに実践できることにこしたことはありません。流派を超えてという言い方もありますが、はじめから流派などないのです。流派を作ったのはそうしなければ何かが足りないという思いをもった後世のホメオパスたちです。足りないものは補って構わないし、ハーネマンが全能というわけでもないのですから、そうあるべきかも知れません。

ただし、病んでいるクライアントをこれ以上に傷つけるようなことは決してしてはいけないという大きな使命を忘れてはなりません。営利目的や対症療法に走るあまり、ここを忘れるような方法や流派はハーネマンがもっとも恐れることではないでしょうか。

現代のホメオパシーには飛びぬけて優秀なリーダーがいるかもしれないし、大金持ちがジェット機で乗り付けるようなそばにも寄れない大御所のホメオパスがいるかもしれませんが、忘れてはいけないことは、ホメオパスはみな、ハーネマンの弟子だということです。

ハーネマンの弟子たちはハーネマンが残した課題を決して忘れることなく癒しの技を磨き続け沢山の病める方たちの力になり真の癒しを提供できるように研鑽し続ける必要があるのです。ここさえきちんと順守できれば、どんな流派だろうが全く構わないといえます。

ただ、日本のプラクティカルホメオパシーは世界のプラクティカルホメオパスとずいぶん異なっているのをここでははっきり言っておきましょう。なぜそうなってしまったのかは、日本という土壌と、日本にプラクティカルホメパシーを広めた方のかなり強烈なカリスマ性がそうさせたともいえるでしょう。

大風呂敷を広げる魅力的な話術と気さくな人柄を慕って沢山のホメオパスが育っていきましたが、その反面彼女に反目してあらためてクラシカルを学び始めた、人気も高くベテランのホメオパスがいます。海外の出版物を読めば視野が広がり日本のプラクティカルのあり方がおかしいということに気付いたのでしょう。あれだけ大量のレメディをマニュアル通りに使って治らなかった方が1粒で治っていった、と述懐していたのを耳にしたことがあります。

今はクラシカルホメオパスの人数も増えてぼちぼちホームページも公開されはじめました。新しくできる学校の殆どはクラシカルホメオパシーです。今は10年前に比較すれば平らにホメオパシーが理解されるいい時期に来ているかも知れません。

それこそ、原則に立ち返り、流派を超えて。

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コンビネーション・レメディについて

日本でもホメオパシーが大分知られるようになってきました。レメディショップや販売会社から沢山の種類のレメディが販売されています。手ごろに使えるレメディとしてコンビネーション・レメディをお使いになった方も多いと思います。ここでは、コンビネーション・レメディについてお話しておきましょう。

コンビネーション・レメディを使うのは、ホメオパシーのレメディのいい服用法ではありません。
コンビネーション・レメディでも苦痛は除かれますが、どのレメディが効果があるのかわからないし、自分はどのレメディを続けて服用するのかもわかりません。

コンビネーション・レメディを使うということは、エネルギーのレベルにおいて、池に一握りの小石を投げ入れ、すべてのさざ波が混ざり合っているようなものです。つまり、どのレメディからも純粋な作用を得ていないのです。

それでもただ問題を取り去りたいだけという人は気にしないでしょう。

けれどもこれはアロパシー(症状と闘い抑え込む逆症療法・現代医学的な方法)のアプローチです。現代医学で用いられる薬の使い方と何等変わることはないのです。ホメオパシーを用いているのなら、そしてホメオパシーの哲学に従いたいと思っているのなら、単に問題を抑え込むのではなく、これを限りに完全に治そうとしていることでしょう。

このコンビネーション・レメディを使うということは、おそらく問題を抑え込んでいることになるのです。これは、元来の症状よりもより強い形で症状はぶり返すだろうということを意味します。体に優しいはずのホメオパシーがとんでもない方向にあなたをつれ去ってしまうのです。

速やかに優しく永続的な治癒を約束してくれるホメオパシーの精神を余すことなく享受するためには、単一のレメディを最小に投与すること以外に勝る方法はないのです。

「ビューティ・オブ・ホメオパシー」ということばを改めてホメオパシー愛好者に贈ります。単なるファッションでホメオパシーを使うのはそろそろ改めませんか。

飴玉をしゃぶるようにレメディをしゃぶるなんてのもどうかしています。そうすることがあなたの大切な体のかじ取りを誤らせることもあるのだということを考えたことはあるのでしょうか。

もちろん、例の「毒だし」概念も、クラシカル(単一のレメディを使う流派・ユニシスト)には一切こうした考え方はありません。何でもかんでも好転反応と称して、ひどい苦しみの先に「本当の癒し」があれば何も問題はないのですが。

なんだか、おかしな事情が日本には蔓延しつつあるので、ここは老婆心。ホメオパシーの創始者ハーネマンは、病んだ人をこれ以上苦しめてはいけない、と戒めているのですが・・・

とりあえず、クラシカルホメオパシーの本を紹介しておきます。
クラシカルホメオパシー京都・入門書の紹介/クラシカルホメオパシーガイド・渡辺奈津著


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