SAHHO
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SAHHOのいわれ
サッフォー(BC620?-BC570?) (Σαπφω,Sappho プラトーンにより「十番目の詩女神」と称えられた古代ギリシャ、レスボス島の女流詩人 レスボス島のミュティレネ(あるいはエレソス)の生まれ。 人生の大半をミュティレネで過ごした。 裕福な家の生まれで、結婚してクレイスという娘をもうけている。 夫は商人で仕事のため不在がちであったともいわれるが、夫の職業については不明である。 サッフォーは、今日でも上流階級の婦人が行うように、現地で多くの女性を集めた茶会のようなものをよく催していた。常連の若い娘さんが結婚して島を去る時には祝婚歌を贈ったりしていた。 このお茶会は、今でいえばフィニッシング・スクールのようなものである。19世紀頃のフィニッシング・スクールには、サッフォーの肖像画を女子教育の元祖として掲げていた所もあったらし。 サッフォーの詩はさすがに2600年の月日が流れているだけあって、あまり残っていない。 現存の詩で完全なものは「アフロディーテに捧ぐ」という7連からなる詩である。 彼女はアフロディーテを愛でる詩をたくさん書いているが、その中のひとつがBC1世紀のディオニュシオスという人の本の中に丸ごと引用された状態で残っている。 彼女の詩はひとつの連が4行から成り、最初の3行は11音節、最後の1行は5音節という形式を取っており「サッフォー・スタイル」と呼ばれている。 彼女の詩は大胆で時には艶めかしさを感じるようなものもあり、古代ギリシャの外縁部であるレスボス島の自由な雰囲気が伝わってくるかのようだ。 彼女の詩があまり現存していないのは、この大胆な表現が災いして中世にキリスト教会が彼女の本を大量に焚書したからだという俗説がある。 しかし、中世のヨーロッパは文化的に暗黒の時代で、あまり古い文化を受け継いでいく思想がなかったために失われてしまったというのが事実らしい。 サッフォーの詩(No.19)・・・アフロディーテを愛でる詩 彼女の光り輝く足首に、素敵な服がまとわりついている リディアの国で作られた刺繍の入った革製の服。 女神様にふさわしい。 サッフォーは女神達や妖精たちを愛でる詩の他に、茶会に参加している女性の友人達を大胆に称讃した詩を書いており、そのため彼女は同性愛者だったのではないかとして、彼女の名前をとって sapphist あるいはもっと婉曲的に彼女の住んだ島の名前をとって lesbian というのが、女性の同性愛者を表すことばとして使われてきた。 しかし彼女の詩の中には自分の弟に対して一見恋愛感情かと思えるような表現をしたものがあったりもするので、女性に対するセクシーな表現も彼女流の半ば戯れに近いものであったとも見える。 サッフォーが弟に向けた詩(No.27) 私の方に来て、愛しい人。 顔をこちらに向けて。 そして目を開いて、その優しい瞳を見せて。 サッフォーが本当に同性愛者だったのかどうかについては、分からないが、当時のギリシャ外縁部の文化は、性についても、かなり自由な雰囲気があったのではないかとも思われる。 サッフォーの詩をまとめた詩集がサッフォーの生きた時代、あるいはその直後くらいに9個か10個あったが、中世の間に全て失われている。 しかし、ルネッサンス以降彼女の開放的な表現は評価され、多くの人があちこちの本に引用された逸文の収集に努力してきた。 19世紀になって、エジプトのオクシリンコスで大量発見されたパピルス文書の中に、サッフォーの詩の断片が多数発見された。 今日サッフォーの作品として私たちが見ることができるのは、これらの断片を、研究者たちが「これとこれがつながっているのでは?」と推測してつなぎ合わせて構成した詩である。 サッフォー詩と生涯 女性学の間へ |